「高卒から31年勤めた会社を辞める」
それは、人生の半分以上を捧げた場所からの決別です。50歳になってからの再出発。
多くの人が「なぜ?」と問い、そして「その後どうなったのか?」と不安を抱くでしょう。
私が辞めた理由は、単なる不満ではありませんでした。
現場の理不尽、構造的な欠陥、そして組織に使い潰される自分への危機感。
今回は、絶望の中にいた私が、いかにして「会社に依存しない生き方」への一歩を踏み出したのか。
そのリアルな脱出劇をお話しします。
10日オーバーの生産計画と、消えない「理不尽」
製造現場の管理職。それが私の立場でした。
しかし、実態は「机上の空論」を現場に押し付けるだけの、無理な構造の最前線でした。
月20日の稼働に対し、常に30日分以上の生産量を要求される。段取り時間は考慮されず、在庫管理や梱包材の準備、現場の片付けといった雑務までが私の部署にだけ押し付けられる。
• 「欠品は出すな、でも在庫管理は自分でやれ」
• 「残業はさせるなやるなら、バラして個人の残業時間は減らせ」
・「オーバーしてる日数はどうやって取り戻すんだ?」
矛盾だらけの指示が、月一の生産会議で一方的に叩かれる会議でした。
そして何より私を疲弊させたのは、複雑に絡み合う「感情」の処理でした。
良かれと思って調整した配慮が、トップには「無理をさせた」と歪んで伝わり、問答無用の引き継ぎなしの異動。
会社は私を、組織の歪みを隠すための「スケープゴート(身代わり)」にしたのです。
フォークリフトの先輩と、空っぽの自分
そんな日々の中、ふと隣のベテラン先輩の姿を見ました。30年以上勤めて、持っている武器は、フォークリフトの資格だけ。
その瞬間、ゾッとしたのです。「俺の中身も、スカスカじゃないか?」
会社の中だけで通用する社内政治や古いルールには詳しくなった。
でも、それは自分を救う「スキル」ではない。このままでは、使い古された部品として捨てられるだけだ――。
その恐怖が、私を動かしました。
副業禁止の壁を越えた「脱出計画」
会社を辞める決断をする前、私は密かにある行動を起こしました。それが「ユーキャンのWebライター講座」への申し込みです。
私の会社は副業禁止。31年守り続けてきたルールです。
でも、あの時の私には、そんなことを言っている余裕はありませんでした。
「このままでは、会社と一緒に沈んでしまう。会社の名刺がなくても、自分の腕一本で食っていける証拠が欲しい」
昼間は理不尽のサンドバッグになり、夜は自宅でテキストを広げる。
初めて自分の言葉で記事を書き、報酬を得た時の感覚は一生忘れません。それは、31年間の給料よりもずっと手触りのある「自分の力で稼いだお金」でした。
「会社の名刺がなくても、俺は生きていける」
その確信が、私に退職届を出す勇気をくれました。
そして今、AIという最強の相棒と共に今、私は派遣として働きながら、生活のベースを確保しつつ、空いた時間でAIを使った創作活動に没頭しています。
Webライターとして学んだ「伝える力」に、AIという「増幅器」を掛け合わせる。
かつて組織の中で押し殺していた私の経験や感情が、今、音楽や文章として世界へ解き放たれようとしています。
30年同じ場所にいても見えなかった景色が、今、目の前に広がっています。
退職は「終わり」ではありません。自分をアップデートし続ける「新しい人生」の始まりなのです。
おわりに(次回予告)
こうして私は、30年守ってきた「正社員」という肩書きを捨てる決意を固めました。
現場で必要な資格は一通り持っています。乙4、有機溶剤、ガス溶接、そしてフォークリフト。さらに、個人的にストレッチポールのインストラクター資格も取得しました。
でも、どれだけ現場のスキルを磨き、資格を積み上げても、この会社にいる限り、私は「都合のいい管理用の部品」として消費されるだけだという現実に、もう嘘はつけませんでした。
2023年にWebライターを志して挫折し、2024年をほぼ無為に過ごしてしまった苦い経験もあります。
それでも、2025年になって出会った「AI」という新しい可能性が、止まっていた私の時計を再び動かし始めました。
退職届を出し、新しい現場へ向かうまでのこの150日間の空白期間。
私がどうやって自分をアップデートし,「次」への活力を取り戻したのか。
次回、「第2話:退職後の空白を埋めた、AIと創作活動という新しい挑戦」に続きます。





コメント